主チャイタンニャという人とその教え

ハレークリシュナ運動の起源

 

               著:尊師A.C.バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダ

 

【主チャイタンニャの降誕】

 主クリシュナ・チャイタンニャ・マハープラブは神の愛の偉大な提唱者であり、サンキールタン運動の開祖です。西暦1498年、インド・ベンガル地方のナヴァドゥヴィーパの町に降誕しました。主の意思により、その日の夕方、月食が起こりました。ヒンドゥー教徒の習慣では月食の間、人々はガンジス川などの聖なる川で沐浴し、浄化のためにヴェーダマントラを唱えました。主チャイタンニャが月食中に降誕したとき、インド全土がハレー・クリシュナ・ハレー・クリシュナ・クリシュナ・クリシュナ・ハレー・ハレー/ハレー・ラーマ・ハレー・ラーマ・ラーマ・ラーマ・ハレー・ハレー の聖なる音で震撼しました。

 

 この16音節の主の名前は多くのプラーナ経典、ウパニシャッド経典に記されており、「ターラカ・ブラフマン」と呼ばれ、特にこの時代のための名前として記述されています。シャーストラと呼ばれる権威ある経典には、主の聖なる名前を侮辱なく唱えることにより、堕ちた魂は物質界の束縛から解放される、と確証されています。主には、インド内外問わず無数の名前が存在し、それらはすべて、最高人格主神を指すという意味では平等によいものです。しかしこれら16音節の名前は特にカリユガと呼ばれる今の時代に奨められています。人々は偉大なアーチャーリヤ、つまりこの制度を実践することにより成功をおさめた聖なる指導者らの足跡に従うことが奨励されています。

 

【サンキールタン運動】

 この主の降誕と月食の一致が主の使命が何であったかということを明確に示しています。その使命とは、このカリ、つまり争いの時代において主の聖なる名前を唱えることの重要性を布教することでした。つまらないことで争いが起きている現代だからこそ経典は、普遍的原則としてキールタンの実践を奨めています。主の名前を集まって唱える、サンキールタンとも呼ばれます。人々はそれぞれの言語で主を讃えるために集まり、メロディーにのせた音楽や踊りにあわせてキールタンを実践することができます。これらのことを侮辱なく行うことができれば、人は厳格なヨガや禁欲主義的方法を実践することなしに次第に精神的な完成に達することができます。サンキールタンを行うことによって、博学な者や愚かな者、富める者や貧しい者、ヒンドゥー教徒やイスラム教徒、英国人やインド人、一般人や布教者、誰もがハレークリシュナの超越的な音の響きを受け取ることができ、それによって心の鏡に積もった塵をきれいに磨くことができるのです。

 

 経典『シュリーマド・バーガヴァタム』はこのように確証しています。「このカリ時代において、十分な知性を持つ人々はサンキールタナ・ヤジュニャーナ(供)を行うことで主を崇拝する。」 よって主チャイタンニャと主のサンキールタン運動の開始はつくりごとではなく、主ブッダやシャンカラ・アーチャーリヤといった化身の降誕がヴェーダ経典で予言されていたのと同じように、啓示経典に予言された事象を実現するために出現しました。そして主の使命を確証するために、世界中すべての人々が神の聖なる名前を人間の普遍的宗教の自然な原則として受け入れるでしょう。

 

【主の幼少期~サンキールタン運動】

 聖なる名前の出現はこうして、主シュリー・チャタンニャ・マハープラブによって成されました。主が母の膝の上に抱かれているとき、幼い主をあやすために周囲にいた女性たちが聖なる名前を唱えて手をたたくと、すぐに泣き止みました。主の周りにいた人々はこの主の特質を、恐れと畏敬の念を持って観察していました。ときに若い女性がわざと主を泣かせて、ハレークリシュナ・ハレーラーマを唱えて泣き止ませました。主は幼少期から聖なる名前の重要性を説いていたことになります。

 

 16歳のとき、主は全インドで最も偉大な哲学者となり、ニマーイ・パンディットとして知られるようになりました。そして華やかに結婚し、ハレークリシュナ運動をナヴァドゥヴィーパで布教し始めました。当時のブラーフマナのなかには妬む者がおり、主の運動を妨げ、ついにはイスラム行政長官に主に対する非難を言いつけました。カジという名の役人がこの非難を重大に受け止め、主の従者に対し、ハレークリシュナを大声で唱えないよう警告しました。一方主チャイタンニャは従者らにカジの命令に従わないように言い、いつものようにサンキールタンを行いました。そこでカジは巡査を従者らのもとへ送り、いくつかのムリダンガ(太鼓)を壊しました。主チャイタンニャはこのことを耳にし、ナヴァドゥヴィーパの町の住民反対運動を組織しました。主は正しい理由のために戦うインドの住民反対運動の先駆者です。何千人もの人々が、何千ものムリダンガとカラターラ(小さなシンバル=楽器)を持って、ナヴァドディーパの町をカジを恐れることなく行進しました。ついに一行はカジの家の前に辿り着きました。カジは群集を恐れて二階に逃げていました。集まった人々は怒りをあらわにしていましたが、主は平静になるようにと人々をなだめました。そこでカジが降りてきて、コーランとヒンドゥー経典に関するすばらしい議論が交わされました。

 

 カジは主に対し、ヴェーダに記された牛の供儀について尋ねました。そこで主はヴェーダに記された供儀は牛を殺すことではない、と答えました。年老いた牛を供養するのは、ヴェーダマントラの力によって、その牛に新鮮で若い体を与えるためになされるべきものでした。しかしカリ時代においては、この供儀を執り行う能力のあるブラーフマナが存在しないため、このような牛の供儀は禁止されています。カリユガにおいては能力のない者が執り行おうとするため、すべての供儀が禁じられています。カリユガにおいては唯一サンキールタンが実践的な供儀の方法として奨められています。

 

 カジは主チャイタンニャの威厳によって説得され、主の従者となりました。カジはそれ以降、誰もハレークリシュナ運動を妨げてはならないことを宣言しました。以降、主はサンキールタンをより精力的に布教し始めました。布教活動の一環で、主は毎日すべての従者を外へ送り出しました。そのなかにはシュリーラ・ニッチャーナンダ・プラブとハリダーサ・タークルという二人の指導者も含まれていました。彼らはドアからドアへと『シュリーマド・バーガヴァタム』の、クリシュナの愛の科学を説いてまわりました。あるとき、彼らが出かけていくと、ジャガイとマダイという名の兄弟がやって来ました。敬われるべきブラーフマナの家庭に生まれたにもかかわらず、その兄弟は下等な者とのつきあいによって卑劣な状態に堕ちていました。彼らは第一級の堕落者であり、肉食をし、女性を誘拐し、強盗を犯していました。

 

 それを知ったハリダーサ・タークルとニッチャーナンダ・プラブは、彼らを聖なる名前によって解放することができれば、主チャイタンニャの栄光はますます讃えられるだろうと考えました。そして二人の兄弟に近づき、クリシュナ

の聖なる名前を唱えるよう依頼しました。酔っていた二人は腹を立て、ニッチャーナンダ・プラブを攻撃しました。二人は慌ててその場を立ち去りましたが、酔っ払いに相当な距離を追いかけられました。翌日ニッチャーナンダ・プラブは再び兄弟に会いに行きました。しかし彼らに近づくや否や陶器の欠片を頭に投げつけられ、血が吹き出ました。シュリーラ・ニッチャーナンダは彼らにとても慈悲深く、極悪な行いに抵抗せず、このように言いました。「あなたたちが私にものを投げつけても私は動じない。それでも私はあなたに聖なる名前を唱えるようにお願いする。」

兄弟の一人はこのニッチャーナンダ・プラブの態度に驚いて彼の足元にひれ伏して罪深い兄弟への赦しを乞いました。もう一方は再び彼を傷つけようとしましたが、ジャガイがそれを阻止し、同じく足元にひれ伏すように懇願しました。

 

 その間、主は自分の献愛者が傷つけられたことを耳にし、直ちにその場に駆けつけて二人を殺そうとしましたが、ニッチャーナンダ・プラブは主にご自身の使命を思い起こすよう言いました。使命とは、カリユガにおいて最も堕落し、救いようのない魂たちを救うことです。ジャガイとマダイの兄弟は、現代人の典型的な姿を表しています。ニッチャーナンダの介在により、また、彼らが純粋な献愛者の足元に誠実な心で服従したことにより、主チャイタンニャはようやく平静になり、兄弟は神の献愛者として歓迎されました。

 

【自己を悟るための方法】

 カリユガの堕落した人々を救う目的で主チャイタンニャは降誕し、そのいわれのない慈悲により、私たちに自己を悟るための最も簡単な方法を与えてくださいました。それが神の聖なる名前―ハレー・クリシュナ・ハレー・クリシュナ・クリシュナ・クリシュナ・ハレー・ハレー/ハレー・ラーマ・ハレー・ラーマ・ラーマ・ラーマ・ハレー・ハレーを唱えることです。そして主はこの時代においてほかに方法はないと言っています。主がサンニャーシーの義務であるヴェーダンタ・スートラを学ぶことを放棄してサンキールタン運動に転換した理由を、マーヤーヴァーディ・サンニャーシーであったプラカーシャナンダ・サラスヴァティが主ご自身に尋ねたとき、主はとても謙虚に以下のように答えました。「私がヴェーダンタの学習からサンキールタン運動に転換した理由は、私がとても愚かだからです。私が大変愚か者だったために、精神の師が私にヴェーダンタ哲学を論ずることを禁じました。主の名前を唱えることのほうが私のためになる、唱名によって私は物質的束縛から救われる、と師は言われました。この時代において、主の聖なる名前を唱えることによって主を讃えること以上の宗教はない。このことが全啓示経典の教えである。

 

 したがって師の命令により、私はクリシュナの聖なる名前を唱えています。私は今この聖なる名前のとりこになっています。唱えると、自分を完全に忘れてしまいます。ときに笑い、ときに泣き、ときに狂ったように踊ります。唱えることによって、自分でも狂ったのではないかと思うことがあります。ですから私はこのことについて師に尋ねました。私は言いました。『私は聖なる名前を唱えることで狂ってしまいました。どういうことでしょうか。どうか教えてください。』」

 

 「すると師は、これが聖なる名前を唱えることで現れる超越的感情の本物の兆候であり、かつ非常に稀なものだということを教えてくださいました。この超越的感情は神への愛のサインであり、人生の終局地です。神の愛は解脱(ムクティ)をも超越しています。解脱の上には5段階の精神的悟りがあります。クリシュナの聖なる名前を唱えることによって得られる実際的な結果は神の愛の段階を達成することです。私はこのような恩恵に預かることができ、とても恵まれていることを幸運に思います。」

 

 主チャイタンニャはクリシュナご自身であるにもかかわらず、私たちに例を示すために自分自身を愚か者としてふるまいました。神は全知識を含む6つの完全な富を所有しています。そのため神は愚かではありえません。しかし私たちは主チャイタンニャの慈悲深い例に従い、決意をもって唱えることができます。このようにして私たちは神の愛という、人生の究極の完成に到達することができるでしょう。すべてはそこにあります。クリシュナと主チャイタンニャから師弟継承上で受け継がれてきた教えを受け入れること、そのことだけが私たちに必要なことなのです。

 

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