Bhogaクッキングを通して

ハリナマアナンダダーシー

クリシュナ意識国際協会(ISKCON)では、1日に6回、アラーティ(礼拝)の前にご神像にお食事を捧げます。
その中でも一番大きなお食事はRaj Bhogaといい、昼食として捧げられます。
標準的な内容はサブジ(野菜のカレー)2種(ドライと汁物)、豆のカレー、揚げ物、サラダ、スイーツ、ご飯、チャパティの8種類。お祭りの時にはこれらにさらに色々な料理が加わります。
細かく説明していくとキリがないので、今回はこのクッキングを通して気づいたことを書きたいと思います
前述したように8種類の食事を約3時間で作ります。東京寺院は人手が少なく、殆ど一人でこれらの料理を作らなければなりません。
自分の家のキッチンではないので、始めの頃はガスの火の点け方すら分からず、平静を保っての料理とは程遠い状況でした。
材料も自分の作りたいものが用意されている訳ではありません。またテンプルホールに人がいないことが多く、お寺を訪れたゲストが声を掛けてくることもあります。
こんな感じで、クッキングの奉仕というのは、時間に追われながら、様々な状況に対応しなけれはならない、厳しい修練の場なのではないかと感じます。
料理は感情を反映します。
 
ひと昔前に、「水からの伝言」という江口勝博士の著書をご存知でしょうか?
水に良い言葉をかけると、その結晶はきれいな雪の結晶のような形になり、悪い言葉をかけると見るも無残な汚れた画像が現れます。
 
昔、日本茶カフェで勤めた頃、店主と「美味しいお茶を淹れます!」と言って、淹れたお茶がとても塩っぱかったことがあります。
なぜでしょう?それは「美味しく淹れてやる!」という私のエゴが入ったからなんです。
飲んで下さる方、そしてそのお茶という素材に対して敬意を払い、丁寧に淹れようという心構えがなければ、気持ちはあってもエゴが出てしまうということに気づきました。
その後、その淹れ終わったお茶を手に取り、美味しくなりますように…と祈りを捧げると、そのままの塩っぱかったお茶が甘露のように甘くなりました。
 
この経験と同様に、ラーダ・ゴーヴィンダの為に心を込めて作っている"つもり"でも、感情が乱れていては、美味しいものは作る事ができません。
先輩献身者から「テンプルキッチンでは感情を決して持ち込んではいけない」ときつく言われている理由がここにあります。
まだ未熟者の私は、感情を克服し平安に保つ難しさを経験しながら料理を作らせて頂いています。
ラーダ・ゴーヴィンダの慈悲により、皆さんに美味しいと言って頂いていますが、味見をすることなく、バッチリ完璧に上手に出来たと思えることは一度もなく、皆さんの温かい、慈悲深い言葉のお陰で、次回も頑張ろうという気持ちになります。
心を込めて料理をする。簡単なようでとても厳しい修行ですが、クリシュナとグルマハラージ、献身者の皆さんの慈悲により、この奉仕をさせて頂けていることに感謝しています。
また新しい気づきがあれば、シェアさせて頂きたいと思います。
これを読んで下さった皆様に次の節を捧げます。

 

 
BG9.26 patraṁ puṣpaṁ phalaṁ toyaṁ yo me bhaktyā prayacchati tad ahaṁ bhakty-upahṛtam aśnāmi prayatātmanaḥ
もし人が愛と献身をもって、葉、花、果物、水を捧げるならば、私はそれを受け入れよう。
 
BG6.5 uddhared ātmanātmānaṁ nātmānam avasādayet ātmaiva hy ātmano bandhur ātmaiva ripur ātmanaḥ
人は心によって魂を向上させ決して下落させてはいけない心は制約された魂にとって友でありまた敵でもあるのだ
 
SB9.4.18-20 sa vai manaḥ kṛṣṇa-padāravindayor vacāṁsi vaikuṇṭha-guṇānuvarṇane karau harer mandira-mārjanādiṣu śrutiṁ cakārācyuta-sat-kathodaye mukunda-liṅgālaya-darśane dṛśau tad-bhṛtya-gātra-sparśe ’ṅga-saṅgamam ghrāṇaṁ ca tat-pāda-saroja-saurabhe śrīmat-tulasyā rasanāṁ tad-arpite pādau hareḥ kṣetra-padānusarpaṇe śiro hṛṣīkeśa-padābhivandane kāmaṁ ca dāsye na tu kāma-kāmyayā yathottamaśloka-janāśrayā ratiḥ
心をクリシュナの奉仕、蓮華の御足に没頭させよ。クリシュナの栄光を讃える言葉に耳を傾けよ。
クリシュナの寺院をきれいにするために手を使い、クリシュナによって語られた言葉を聞くために耳を使え。
クリシュナのご神像を見るために目を使い、触覚は彼の献身者に触れるために使い、嗅覚はクリシュナへ捧げられたトゥルシーの香りを嗅ぐために使い
味覚はクリシュナのプラサーダを味わうために使う。
足は聖地へ巡礼するために使い、頭はクリシュナへ祈りを捧げるために使う。

 

 

アンバリーシャマハラジャは全ての感覚をクリシュナに関わることに専心させた。このようにすることで全ての物質的束縛より解放される。(途中略)