10年間クリシュナ意識の修練を実践してみた件について

 

「心に喜びの雨が降る」

 

 

これがクリシュナ意識の修練を10年実践してきた率直な感想である。もちろん降らない時もある。

 

 

というか降らない時の方が断トツに多い。

 

 

しかし、クリシュナ意識が深くなればなるほど、クリシュナへの想いが募れば募るほど、降水確率は100%に近づき、雨量も洪水警報が鳴り響くほどに達するのだという。

 

 

 

これは500年前にインドのベンガル地方で布教された、チャイタンニャ・マハープラブという高僧(クリシュナ自身と云われている)によって提唱された方法を用いて、はじめて体験できる境地だ。

 

 

その方法とは、クリシュナの聖なるマントラを聞き、唱えること。

 

 

クリシュナの物語を聞き、味わうこと。クリシュナに料理を捧げ、そのお下がりを食べることetc、、、。

 
 好奇心旺盛だけど飽きるのも早い自分が、10年も同じことを続けているのは奇跡という他ない。

 

 

信仰心のかけらもない物欲の塊の自分がどうして続けてこられたのか。

 

 

それはひとえにISKCON(クリシュナ意識国際協会の略称)に集う人達の純粋で真摯なクリシュナへの想いに励まされ続けたからに他ならない。

 

 

純粋なヴァイシュナヴァ(献愛者)の方々がクリシュナを賛美し歌うと、それは心の奥底にまで響き、ただ、ただ感謝の気持ちで満たされる。

 

 

クリシュナに愛を込めて捧げられた料理のお下がりを口に運ぶと、五臓六腑に染みわたり、まるでガンジス川で沐浴を終えてカルマが拭い去られたような感覚になる。

 

 

そしてクリシュナを愛して止まない方からクリシュナの英雄譚を聞くと、あたかもそこにクリシュナや他の神々が本当にいるかもしれないと感じてしまう。

 

 

そうして少しずつ、少しずつクリシュナのことが好きになっている自分に気づいていく、、、。

 

もちろん楽しいことばかりではない。

 

 

バクティ・ヨガ(クリシュナに感謝するヨガ)をやり出したからといって、自分のカルマ(業)は残っているわけだし、

 

 

苦しいこと、嫌なこと、逃げ出したいと思うことはやっぱり迫ってくる。

 

 

そんな苦しみの反動から、クリシュナよりもやっぱり自分の人生を楽しもうと思い、クリシュナを忘れて肉食に走り、煙草もバンバン吸ってガールフレンドと一緒にディ〇ニーランドやUJに行きまくって遊びまくって。

 

 

そういうことを繰り返していくうちに、どんどんクリシュナへの想いが薄れ、また物欲の波に飲まれていく時代もあったことを正直にここで告白する。

 

 

でも、どれもこれも飽きるのだ。ああ、同じことの繰り返しだなと。

 

 

噛んだものの噛み直し。味のしないガムを捨てられずにねちねちと噛み続けるあの感覚。

 

 

遊び尽くしてやっと、この世界を卒業したい、そう本気で思えるようになったのはつい最近のことだ。(かといって物欲はまだまだある。)

 

 

それだけマーヤー(そうではないもの)の魅力は強く、御し難い。自力では無理。本当に。

 

  人生に波があるように、精神修養にも波がある。だから、周りに合わせようとせず、自分のペースを保って安全運転に徹すること。

 

 

時には高速道路を走ったりもするけど、それが長距離ドライブの秘訣だと思う。

 

 

菜食が提唱されていてもできない時もあるし、煙草や酒が止めれなければ無理に止める必要もない。

 

 

 

ただ、何か良いことがあった時は、喜びの源であるクリシュナに感謝したり、クリシュナのマントラを唱えてみてほしい。

 

 

そしてもし気が向けば、youtube等でキルタンを楽しんでもいい。

 

 

もっと興味が湧けば、お寺やセンターに足を運んで、自分の五感をフル動員させてクリシュナ意識を味わいにくれば、私が言っている事が大袈裟でもなんでもなく、

 

 

リアルだと感じてもらえるかもしれない。

 

 

 

宗教という色眼鏡を外して真剣に直視すると、そこには自分が求めていたものが全て詰まっていると気づく。

 

 

 

喜びの雨は、誰の心にも降り注ぐ。

 

 

なぜならクリシュナは、皆の心にいつも寄り添っているのだから。 

 

 

多謝

 

 

ミッチー・ロータス (※旅好き。最近は海外ドラマ、アニメや漫画もよく見ます。犬くん猫さんの癒し動画がお気に入り。日本人。)