ネットの本配りに到る迄の遠い道のり

バクタ・ぷりんす

遠い距離のままに

 クリシュナ意識国際協会(イスコン)の運動は、一般には(そして宗教学でも)ハレークリシュナ運動の名で呼ばれていますが、インドのことに関心を持っていたため、早くから耳にすることがありました。二十世紀の終わりのころ、阪神淡路大震災の罹災者となり、意気阻喪していたことも手伝って、大阪で催されていたキールタンと法話の会に出ることがありました。しかし理解力の乏しさから、クリシュナはとても遠い存在でした。

 

 その後、東京中野・ロンドン・アフメーダバードのイスコン寺院にも足を運んだことがありましたが、距離感は埋まらないままでした。せっかくハレークリシュナ運動に接触する機会を得ながらも、それからもずっとその中味を知ることのないままに時は過ぎてゆきました。

導かれる機縁に恵まれる

 なにごとにも機縁というものがあるものです。キャンベラの ANU(オーストラリア国立大学)にいたときのことです。2012年も半分を過ぎた頃のある日、キャンパス内にハレークリシュナの看板が立っていました。立ち止まって見ていると、神々しい感じの美しい女性が近寄ってきました(インド人みたい顔をしていましたが、あまりインドインドした雰囲気ではありません。あとできくと、シンガポール育ちのインド人でした)。

「インドの宗教に関心ありますか」

「オーム すごくあります フーム」

「じゃあ水曜日の夜の集まりに来てくださいね」

「水曜日の夕方はチェスクラブがあるから」

「チェスなんかやってちゃだめ。もっと人生の大事なことを考えなくっちゃ。毎週水曜日夕方チャプレンシーで、礼拝と勉強会と、それに最後に菜食のディナーがでるから」

これが Sravaniya Devi Dasi mtj との最初の出会いでした。彼女の発話の最後の部分に耳がぴくぴくと動いて、チェスのトーナメントの区切りのいいところで、こちらに切り替えることにしました。会場のチャプレンシーというのは、宗教関係のクラブ活動をするための建物で、前日の火曜日にはキリスト教のなんかをやっているらしい。いろいろとアーメンの雰囲気の残っている部屋で、キールタン用のラミネートした歌詞カードが配られて、十字架の前でおじさんの叩くムリダンガに先導されつつ皆と唱和する。アーラティーとかいって御神像の前で蝋燭をくるくる回して礼拝(Sravaniya が手を取って指導。嬉しい)。いきなり『クンティー妃の教え』という本を渡されて、勉強会をします、今日はヴァース2 5からです、と。第8章なのに、なんで25なんだろうなぁ、などと思っているうちに、さかんに議論している人がいるみたい、何いってるのかわからないのでぼーっとしていると、はい次読んで、とあてられて、あわててしゃんとして音読する。これじゃあ初めての人は翌週は来なくなるよなぁと考えていると、今日はここまで、お待ちかねのプラサーダムの時間です、と。

プラサーダムというと恩寵のことだから、耳ぴくの菜食ディナーだな、とこれだけは理解が早い。時計を見ると8時半なので、来週からはこの時間にくればいいんだと思案する。

学びの開始

フェイスブックをやる方でしたら、ANU Hare Krishna Club で検索すると、最近の集まりの様子が見られます。大きな十字架の前でのキールタンの様子も写っています。

 とにもかくにもクラブを止めることなく、出席は続いていました(ひとえに世話役が美人だったからですね)。読書会ではイスコンの創始者バクティヴェーダーンタ・スワーミー・プラブパーダの書を初めて読み始めたので、わからないことだらけです。しかし今回は機が熟していたのでしょう。自分から先に進んでゆきました。読書会を理解するために、もっと基本的なことを知りたく思い、Sravaniya に教えを乞いました。そこで図書館へと向かいました。

学内にある図書館のひとつのメンジーズ図書館は国立図書館と合わせて、東洋学関連の蔵書では、南半球一を誇っているのですが(南半球一というのはオーストラリアの常套句です)、そこで関連書籍の箇所へ行きました。ハレークリシュナ運動の開祖のチャイタニヤのことを知りたい旨を伝えると、今までの勉強経験をきいてきました。ゼロだというとカッコわるいので、バガヴァッド・ギーターは読んだ、ごく一部とはいえシャンカラ注も見た、古ウパニシャッドは読んだ、などと適当なことを言うと、それじゃあと、書棚の数段を占める SB と CCA を指して、

「これを読むのよ」

「こっ、これって、分量がすごく多いじゃない!」

「問題は分量じゃなくって、いかに深く理解するかってことなの」

その語気には拒むことを許さないものがあり、容赦なくキビしいオンナだなあと思った次第でした。

後にダンナの Vishnu Charan Das prbh に話したら(残念なことにダンナがいたんだ)、VedaBase というイスコン本の電子版が詰まっているネットサイトを教えてくれて、全巻をアタマから読んでいかなくとも、これで必要な箇所を随時引き出して、そうして段々と読んだ箇所を増やしてゆけばよい、とアドヴァイスしてくれました。

自分で和訳を書き始める

  CCA の近くにあった一冊本バクティヴェーダーンタ・スワーミー著『主チャイタニヤの教え』が目に止まりました。これを借りだしたのですが、結構難しい本なので、投げ出すところでした。しかし巻頭に短いチャイタニヤ略伝があったので(この部分の執筆者は、著者の師匠のそのまた師匠)、これなら読み切れると思いました。メモ代わりにざっとした訳文を書き付けていきました。それと同時に、キビしいオンナの教えを守らないと、との思いもあり、CCA の該当箇所を探し出し、見つかったところは訳文の下に記しておきました。CCA の本文はベンガル文字では書いてあるけど、(現代)ベンガル語ではなさそうだし、一体なんなんだろーと思いました。サンスクリットと似た単語が多いのと、一語一語に英訳が付いているので、主として機能語(文法語)を抜き出して、役割別に並べ替えて自家製の略文法にし、たどたどしく本文をなぞってゆきました。略伝は短いものなので、そのうちに脚注を伴った第一草稿ができあがりました。この作業を通じてチャイタニヤその人が、随分と近しい存在になりました。

クラブとの関わりの変化

 その年も終わりに近付いた初夏の頃(北半球でいえば晩秋の頃)、クラブへ行くと、祭壇の前にもう一つテーブルが置かれ、お菓子が一杯置いてあります。

「子供時代のクリシュナが、指一本で山を持ち上げた故事をお祝いするものなの(ゴーヴァルダン・プージャー)。ディワーリーのお祭りの一環でもあるから、今日はあんまり難しいことはしないで、楽しみましょう」と笑顔の Sravaniya の説明。この頃には既に、クラブのために、クリシュナのためにかいがいしく奉仕している彼女の姿をたびたび目にしているので、心惹かれる女性になっていました(ダンナが何だ ←できた、回文!)。その日の集会の終わりに、お供えのお菓子を一杯包んでくれて、

「坊ちゃんに持って帰ってね」と渡してくれました。容赦なくヤサしいオンナだなあと感激しました。

 年末の帰国の日が近付いてくると、数々ある思いでの中でも、このハレークリシュナ・クラブが一番別れ難いものになっていました。涙、涙の最後の日に、

「チャイタニヤの略伝の訳は仕上げるから。これにとどまらず、著者バクティヴィノーダ・タークラの他の書も翻訳するから」と大言壮語してしまいました。

 

献身者との交わり

 日本に一時帰国して、2013年4月にニュージーランドに移住しました。今でも毎週のクラブの集会の案内は送ってもらっています。牛の歩みの翻訳の際も、Sravaniya ご夫妻に随時質問メール。時にはごく初歩的な英語の質問も(シンガポール人の第一言語は格調高いクイーンズ・イングリッシュ。これをシングリッシュと呼ぶ人がいるなんて)。容赦なくコンセツな返信がくるのがいつも楽しみです。よき献身者との交わりサトサンガの意味がひしひしとわかってくるようです。

ネット上の本配りの開始

 で、そろそろ本題に入らないといけないのですが、私は『プリンス通信』という個人通信を長らくだしていました。テーマ別に少しまとまったものがあると、Beiheft という別冊にしています。チャイタニヤ略伝もこの別冊にしました。こともあろうにこれを幾人かの知己に送りつけてしまいました。何分にも入門者の知識ではやりきれないのですが、見切り発車的にとにかく終わらせました。その後もっともっと勉強しないといけないと思い、初歩的な知識の習得が要るので、新古のテクストを選んで、和訳を書きなぐりました。これを受信者の迷惑を顧みずに送りつけるわけですが、これをネットの本配りと称して、自分の奉仕活動ということにしました。

 

 真の本配りの活動をしている方の足許にも及びませんが、人にはそれぞれの器があり、当面自分にはこんなことしかできません。しかもハレークリシュナを耳にしてから、これを始める迄に数十年もかかっています。すぐにそこに入ってゆける人もあるし、またアウグスティヌス的なドラマチックな回心を経験する人もあるようです。

 しかし人それぞれの機根・機縁は致し方ないもので、自分としては、まあこんなもんだろうと思います。今後のプランだけはいろいろあるのですが、書き始めても能力不足のため仕上げられないままのものがたくさんあります。これらを一つずつ片付けられるようにと、主に祈っている有様です。

 

ハレークリシュナ!