クリシュナ意識との出会いとバケツヨガを通じて

バクティーン晃世 記

左から二人目が筆者
左から二人目が筆者

クリシュナ意識との出会い
 私は今、オーストラリアのゴーヴィンダ・ヴァレー(Govinda Valley)というISKCONのファームに住んでいます。Govinda Valleyは、ヨガの療養所という形で存在していて、主にヨガの団体やスピリチュアル関係のグループに使われる施設です。私たちは主に宿泊施設と食事(もちろんプラサーダムです)を提供しています。

 私は今から約3年前に、ワーキングホリデーでオーストラリアに来ました。小さい頃から漠然と海外で働きたい、海外に住みたい、同時に、何か人の役に立つことをしたいと思っていました。看護師になったら人のために働けるし、海外に行ってもひとりで生きていけるかなと思い、大学卒業後には看護師として大阪市内の病院で働き始めました。仕事はやりがいがありましたが、どんなにベストを尽くしても、自分が本当に正しいことをしているのか、いつもどことなく不安がありました。一生懸命に働いているけれど、病院や、患者さん、先輩の看護師さんやお医者さん、考えてみると周りの全ての人やものが完璧でなく、それに仕えている自分に対して、本当にこれでいいのかという疑問がいつもありました。“完璧なもの”に仕えたいという願望が自分の中で強くありました。
 また、患者さんを助けたかったはずなのに、私自身が、“自分はいったい何者なのか”、“この人生で大切なことは何なのか”、などの根本的なことを分かっておらず、こんなことでは人助けができるわけがないという気持ちが大きくなっていきました。
 そこで、仕事を辞めて、自分の疑問を解消するために、新しい人々に出会うためにオーストラリアに行くことに決めました。始めは、英語の勉強をしたり、介護士の資格を取ったりとシティで生活していましたが、田舎に行きたい、ファームで暮らしたいと思い、旅行をしながら各地のファームでボランティアとして働いていました。そのファームでのボランティアを通して、もともと学生の時からしていたヨガの練習に真剣に取り組むようになり、ベジタリアンを経験し、キルタンに初めて参加したりと、徐々にスピリチュアルな経験をしていきました。
 いよいよお金も無くなってきて、シティに帰って介護士として働かないといけないというときが来て、自分の中に大きな抵抗感がありました。もともと日本で見つけられなかった答えのようなものを探しに来たはずで、このファームでの生活で見つけられるかもしれないと期待していたのに、今もうその時が終わろうとしている。とても大きな焦りでした。シドニーに帰ってきた後、仕事を始めるまでに2週間ほど空白の時間があり、なんとかもう一つ、ファームでの生活を経験したい、そしてヨガを練習したいからヨガのファームがいい、と思い、最後の大きな賭けのような気持ちでファームを探しました。年明け前であったこともあり、ほとんどのファームと連絡が取れず、絶望的な気持ちになっていた時、Govinda Valleyと連絡が取れました。そして、「明日からでも来ていいよ。」と言われ、年明け後すぐに訪ねました。

 敷地内に入った途端に、なんだかこの場所が特別な力に守られているように感じました。初めてキッチンで奉仕をすることになったとき、ここでは神様のためにごはんを作って、そのごはんを捧げてから食べているよと説明されたとき、それこそ正しい食事のいただき方だと納得しました。
 また、献身者の人たちに会ったときに、みんな若い少年のように見えるのに(その頃は18~22歳くらいのプラブが多くいました。)なんだか人生の芯を持っていて、自信があるように見えて、「この人たちは私が持ってないものを持っている」と感じました。
 初めてギータークラスに参加して、「私たちはこの体ではなく、魂である」「私たちは召し使いで、神に仕えることで幸せになる」という哲学を聞いたとき、「私はこのことがずっと聞きたかったんだ」と思い、それから毎日哲学のクラスに通いました。
 テンプルルームにあるクリシュナの姿がとても魅力的で、またなんだか懐かしく思えて、クリシュナが神様であることがとてもうれしく思いました。両親が仏教とキリスト教である間に育ったけれど、どちらの宗教にも特に関心が持てずに、また宗教自体に抵抗感があり、「私は自分だけの神様を信じる」と思いながら生きてきたけれど、何も神様に関する情報がなくて、神様に対して具体的に何をしたらいいのか分からなかった私に、バガヴァッド・ギーターが答えをくれているように思いました。
 ハレークリシュナのマハーマントラを唱えることを初めて紹介された時は、なにか自分が取り返しのつかないことをするような気がして、少し怖くなったのを覚えています。今になって思えば、自分の中の物質的な物への欲求や束縛が、無意識にマントラへの抵抗感や恐怖感を生んだのだと思います。
 マンガラ・アラティ(朝のプログラム)に参加するようになって、この生活こそ私がしたかったことだと確信しました。シドニーで決まっていた仕事を辞めて、Govinda Valleyに移り住むことに決めました。

バケツ・ヨガを通して
 ここでの私の始めの奉仕は、キッチンでの調理補助でした。また、後々にはハウスキーピングやゲストの部屋の掃除などもしていました。一部の献身者の人たちがサンキルタンという奉仕をしていることを知っていましたが、私は英語が上手く話せないし、恥ずかしがり屋だし、サンキルタンだけはしたくないと思っていました。
 しかし、調理による私の手荒れがとてもひどくなって、調理もハウスキーピングもできなくなり、サンキルタンに出かけることになりました。Govinda Valleyでは、本配りではなく、街に出て募金を直接募るという活動をしています。それは、ここのファーム長の意向で、本配りやハリナマと同じように、街の人にお金を寄付してもらうことで、より多くの人にクリシュナへの奉仕の機会を与えられる、また献身者と出会う機会を与えられるというものです。
 オーストラリアでは街中で募金活動をしている人がたくさんいますが、まさか自分がその中の一人として人にお金を尋ねるとは思ってもみませんでした。活動自体はとてもシンプルで、バケツを持って道行く人に、「募金をお願いできませんか。」と尋ねます。そして、何をしているのかを知りたい人には、詳しく説明します。興味を示した人、本が必要だと思う人には、小さなクリシュナ意識の本を手渡します。
 始めの頃は、どうしてこんなことをしないといけないのか、道行く人の邪魔をしたくない、などの抵抗感で、クリシュナへの奉仕ということを思い出すことが難しい時がありました。毎朝プログラムに出て、必死にチャンティングをして出かけましたが、やはり自分の気持ちを優先して考えていて、クリシュナに頼りきることができないでいました。
 12月に恒例のプラブパーダ・クリスマスマラソンがあり、サンキルタンに100%集中できるようにサンキルタンデヴォ-テだけで街に近い場所に家を借りて、引っ越しました。
このマラソンに参加するに当たって、私は、「このマラソンはクリシュナが私に与えてくれた機会だ。今こそ自分のことを考えるのを止めて、クリシュナと、周りの人たちのためだけに奉仕をしたい。」という強い気持ちがありました。このマラソンは、私にとって大きな挑戦でした。でも、同時にクリシュナとの関係を深める、とても幸運な機会であることも知っていました。また、バガヴァッド・ギーター4章11節

 

“私へ身を委ねた程度に応じて私は人々に報いる
プリターの子よ、すべての生物はあらゆる方角から私への道を進んでいるのだ”

 

とクリシュナが言っていることを、自分自身で体験したいと思いました。そこで、1ヵ月以上休むことなく街に出て、なるべく多くの人々にチェイタンニャ・マハープラブの、クリシュナへの愛を伝染させられるように奉仕に励みました。
 マラソンの間、私は今までにないくらい幸せでした。自分の利益や楽しみのためでなく、真に人のため、クリシュナのために奉仕をすることが私たちに本当の平和と幸福を与えてくれるのだということを身をもって体験しました。
 また、そんな甘露を経験するためには、自分の意識を綺麗に保つよう、日々のサダナ(朝のプログラムや、チャンティング)が欠かせないということも改めて感じました。主チェイタンニャがSiksastakaの始めの節で言われてるように、サンキルタンは、超越的な喜びの海を増し、私たちがいつも求めている甘露を完全に味わうことを可能にします。それは、私たちがクリシュナと主チェイタンニャの愛を直接人々に伝えるために、特別な慈悲が降り注ぐためと、魂として、クリシュナとクリシュナの献身者(街中の人々)に奉仕をすることが最上の喜びだからと私は理解しています。

 本当は、すべての人々がこの甘露を味わいたいと思っています。ただ、どうすればこの甘露を味わえるのか、本当に幸せになれるのか、その正しい方法を知らないだけです。
 サンキルタンは最上で超越的な人助けです。本配り、ハリナマ、募金集め、プラサーダム配り、、、アプローチの方法はたくさんありますが、その全てが超越的です。クリシュナと、人々の魂を直接結び付ける活動だからです。この結び付きなしでは人は本当に幸せにはなれません。私はそれを日々経験しています。私がクリシュナや献身者のことを考えるより、自分のことを考え出したとき、私の心はたちまち不安になり、幸せではなくなります。
 まだまだ未熟者の私ですが、人生を通じて、クリシュナへの愛を深めて、いつかは自分のすべてをクリシュナと、クリシュナの献身者に捧げられるように生きたいです。