私のクリシュナに辿り着く道

バクティーン喜美代 記

初めてデザインした韓国ソウル寺院の神像衣装
初めてデザインした韓国ソウル寺院の神像衣装
 私はクリシュナを喜ばす事が出来ているだろうか…。ギータの勉強を始めてからその問いかけは常に私の中にあって、私の中の欲どおしさや自我が暴れる時、1人自己嫌悪に陥って自暴自棄になったり、私は無意味な事をしているのかなぁと不安になります。そして仕事が終わり、ふと見上げた空に綺麗なお月様を見つけるとクリシュナを思い出します。それはギータの中で私は月だという節があったからです。私のハートの中からもお月様の光からもクリシュナは見てくださっているんだなぁ、私がこんな未熟な事もご存知なんだなぁと、クリシュナは全てをさらけ出す事が出来る唯一の存在かもしれません。
 
 私が辛い時も幸せな時もクリシュナはいつも一緒です。ギータの学びのおかげで色々な事を知る事ができました。つい最近ギータを知ったわけではありませんが、今更ですがやっとその時が来たのです(笑)ギータの面白さやクリシュナがどれほど私たちの事を愛してくださっているのか、赤ん坊にミルクをあげるように、抱っこやお寝んねに辛抱強く付き合ってくれる様に、まるで母子一体の様な慈悲を知る事が出来ました。
東京寺院神像衣装
東京寺院神像衣装
 慈悲とはサンスクリット語で慈(マイトリー)=友情、特定の人ではなく全ての人々に平等に友情を示す。悲(カルナ)=人生の苦に対する呻き。自らの苦を知る時、人は他者の苦を知る事ができる。他者と同じ苦を味わう時、その人の思いは他者の苦を癒さずにはおられないという救済の思いとなって働く、なのだそうです。

 この世界は苦に満ちていていつも徳の性質のままではいられませんが、クリシュナの大きな大きな母体の中で羊水に浸って生きているのだと思うと余計な不安も無くなり、少しずつあるがままでいいんだと思える様になりました。

 ちょうどピッタリな節がありました。 BG4-10『 執着と恐怖と怒りから離れ、全てを私に任せ、私に憩い依って、過去よりあまたの人々は私の知識によって清浄とりなり、ことごとく皆私への超越的な愛に着いたのだ 。』

 まだその端っこにしか辿り着いてはいないけど、その奥までずっとまっすぐ行ける様に、クリシュナを憩い依っていきたいと思います。そして多くの献身者に習い、教えてもらいながらもっともっと深めていきたいと思っています。

東京寺院ジャガンナータ衣装
東京寺院ジャガンナータ衣装
バクティーン喜美代
韓国ソウル寺院ラーダシャーマスンダラの衣装をデザイン、制作し、寺院長より絶賛される。現在は東京寺院の神像衣装を担当する。ケシャビマタジ主宰のギーターの会にて熱心にギーターを勉強中。