プラブパーダの思い出とISKCONJapanの歴史1

マハグナデーヴィーダーシー 記

 これから何回かに分けて、シュリーラ・プラブパ―ダの思い出と、日本のクリシュナ意識の初期の歴史をお話ししたいと思います。よるとしなみの記憶の曖昧さと、昔は英語をほぼ理解していなかったので、詳しいところははっきりはしませんが、私的の見解からお話しします。

 1967年プラブパーダは初めてインドに行く途中日本にトランジットとして足を踏み入れました。その時はまだお寺もなく、もちろん献愛者もいませんでした。高度成長まっただ中の日本を見て何を思ったことでしょう。
  1970年プラブパーダはスダマ・プラブーとバリマダン・プラブーを日本の最初のイスコンを始めるべく送りました。スダマは、ハワイでプラブパーダの召使いとして仕えていました。スダマ・プラブーは既になくなっていますので、その経過は定かではありません。彼らはまず京都の京都大学前に家を借り、始めようとしましたが、なかなか思うようにはいかず、2~3ヶ月後には東京に移ることとなりました。
 初めての東京でのお寺は、渋谷区大橋というところでした。長屋のような建物は、部屋が3つとトイレ風呂の小さなものでしたが、高台にあり、まわりにも庭がある環境の良いところでした。
  そのうちアモガ・プラブーや、ブイジャナ・プラブーも加わり、アメリカからは、スダマの奥さんとして、チンタマニが送られてきました。送られるという言い方は変かも知れませんが、その当時は、結婚はプラブパーダが決められ、献愛者はそれを受け入れるようになっていました。日本のお見合いのようなものですね。でもアメリカ人たちがそういったことを受け入れるというのは、やはり精神生活への強い思いとプラブパーダへの深い信頼があったのでしょう。もちろん今の結婚はそうではありません。

 その後、1970年の夏8月にプラブパーダは2度目の訪日をしました。この時はプラブパーダが初のアメリカ人で、サニヤシになった弟子たちをインドにつれて帰る途中で、また大日本印刷との商談もあり、日本によられたのです。

 その弟子の中には、今は亡きタマラクリシュナ・マハラージ(まだサニヤシではありませんでした。)、デーヴァナンダ・スワミ、キルタナナンダ・スワミ、そして召使いのカーティケイヤ・スワミがいました。大橋のお寺には、何人もの日本人のサポーターも来ていて、みんなでプラブパーダ一行を迎えました。

 その中には、高橋寿子さんもいました。彼女は日本で初めてクリシュナ意識のお寺に来た人で、現在でも時々お寺を訪ねています。それに加藤さんという演劇のヒッピーグループの人たちもいました。彼らは日本のクリシュナ意識の初期に非常に強い見方となりました。大日本印刷は黒塗りのリムジン車で空港まで迎えにいきました。

 これはサチャデーヴァの話ですが、プラブパーダが、大橋のお寺の前に現れると、スダマ・プラブーが彼に花輪を渡し、プラブパーダの首にかけるように言いました。 サチャデーヴァは前の日にお寺に来たばかりで、何がなんだか分からないまま言われた通りに花輪をかけました。自分は絶対に誰にもひれ伏したりはしないと思っていたのに、なぜかすぐにひれ伏し尊敬の礼を捧げていた、そして非常に自由で楽な気持ちになったといっています。また、ずっと自分が祈っていたことに、神がやっと答えてくれたと思ったとも言っています。自分を導き教えを授けてくれる人が現れるのを待っていたのです。

マハグナデーヴィーダーシー

日本における最初期の献身者の一人。シュリーラプラブパーダの直弟子。サチャデーヴァプラブ夫人。現在米国在住。